2020年 05月 11日
ローラ浅田さんのこと
と、からっと笑って言ってのける。
腫瘍が脳に転移した友人とは、
「あんた、脳転移してんの?そのわりにはぜんぜん元気だねえ!」
とあかるくやり取りしている。
脇で、打ち合わせのための楽譜を整理しながら耳にする会話に、しばしば愕然とした。
NHKの全国版で彼女の特集が入ったのは私がサポートに入るすこし前のことだったが、その番組も手伝ってか、小中学校から彼女へのライブ依頼が増えていた。
今時の高校生なんて、どうせ適当に聞き流すんだろうなと私は思っていた。
ローラさんはおちゃめであっけらかんとした性格で、江戸っ子的な話し方。ステージに登場して、
「みんな,退屈じゃない〜〜?だいじょぶ〜?」
と元気いっぱいで話しかけた。
そのあまりにもあっけらかんとして明るい姿に会場の高校生達はビックリしているようだった。
先生方が事前に、彼女のNHKで全国放映された番組をみせていたようで、学生たちは終始ローラさんの歌に語りに、真剣に耳を傾けていた。
ライブが終わった後、彼ら一人一人から感想文がローラさんに届いた。
それらの作文を私も読ませていただいた。
一人一人が、ローラさんからたくさんのことを学んでいた。
それは、生きる勇気であったり、人生の目標を見つける事の大切さ、仲間とのつながりの大切さ、前向きに明るく生きる事の素晴らしさ、などなど。
「人生を通して打ち込める何かを探したい」
「人生について考えた」
「仲間がいるって素晴らしい」
「ローラさんは人を愛する事を歌で伝えようとしている」
「何か困難にぶつかった時、ローラさんの歌を思い出したい」
特に多かったのは、
そのあと、神奈川県の平塚にある小学校でもライブをした。
ローラさんとも親交のあるラテンピアニストの今井亮太郎さんのお父さんがその小学校の校長先生だった。
是非ローラさんに子供達の前で歌って欲しい、との依頼だった。
子供達を低学年と高学年にわけた、2回公演。
小学校につくや否や、子供達は彼女を見つけるや、
「ろーらさん!!」と無邪気に手を振ってくる。
ローラさんは「おお〜〜!こんちわ〜〜〜」と全開のパワフルな笑顔で応える。もう、どんな偏屈な人も彼女をいっぺんに好きになる。
子供達はもちろん一度で彼女にひきこまれていた。
低学年の部では、「手のひらを太陽に」や「しゃぼんだま」、「ぶんぶんぶん」なんかを子供達と歌った。
「ぶんぶんぶん」は「You Are My Sunshine」とからめてブルース調のノリのいいアレンジ。
子供達は、みんな屈託なく、大きな声で元気に歌ってくれて、ローラさんは感激で涙ぐみながら一緒に歌っていた。
高学年の部では、いつもなら決して話さない自分の病気の事を、ステージ上ではじめて語った。
何歳でアメリカに渡って、いくつで病気になって、、、再発して、5年生存率が15%だと言われた事で自分が腹をくくってどう生きるかを決めた事。。。。。。
それらを、高学年の子供達はじっと静かに聞いていた。中には、涙を流しながら聞いている子もいた。
ローラさんは、
人の心や、愛情、を疑わない。
いつだって人の優しさを信じている。
人間っていいもんだって,信じてる。
だから、彼女の明るさに子供達は心を開くのだと思う。
そして、いつもなら決して弱音を見せないローラさんも、子供達のまっすぐな心の前では本音を話してしまったのだと思う、、
「みんな、ローラの事忘れないでね」
その時の声を今も忘れない。
楽譜が滲んで見えなくなってしまう。
プロフィール------------------------------------------------------
ローラ浅田(浅田一美)
1942年2月うまれ
30歳で渡米、ロサンゼルスで弾き語りシンガーとして活躍。2年半前乳がんを再発し多発性進行がん第4期と診断された。これを機に、支えてくれた人への感謝の気持ちと自らの生き様を伝えたいと金沢市を中心にライブ活動をはじめた。会場は彼女の歌声に魅了された女性達でいつも満席。
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本放送では、まずローラさんの学生時代のお話を伺いました。高校時代の仲間達との交流が未だに続いているということで、その交流がどれだけ生きる支えになっているかを伺いました。
「勉強よりも、一緒に遊んだり何かに夢中になってみんなでやり遂げたことが強く心に残っている」
シーツをドレスにみたてて学校の舞台に立った話を、瞳を輝かせて話してくださいました。
次に、アメリカ時代のお話。
クラブでは日本の歌しか歌わせてもらえなかった事、向うでの音楽仲間達と作ったオリジナルの曲「花づくし」のエピソード。
一番はひまわり。ひまわりはいつも太陽を探して咲くことを歌っています。どんなに太陽が照りつけようが、その身を焦がそうが太陽に向かって咲くひまわりを女性になぞらえてせつない歌詞に仕上げてあります。
2番はたんぽぽ。たんぽぽは、花が終わるといったん倒れてしまいます。でも、それにはちゃんと意味があって、より効率的に栄養を種に行き渡らせるための智恵だったのです。そして、準備ができると「えいやっ!(ローラさん風だととってもキュートです)」と起き上がる。そして、花のときよりも高い位置にその綿毛を広げるのだそうです。より遠くへ飛ばすために。これを、子供を思う母親の母性として歌にされています。
そして3番。別れのテーマである3番にふさわしい花をコスモスにきめるまでにはかなりあたまを悩まされたそうです。
なんともセンチメンタルな曲に、この歌詞が寄り添っています。どこかで流れていたのではないか?と思うほど完成された曲ですが、これまでひっそりと彼女のもとにたった一つの音源があるのみだったそうですから、驚きです。今回リリースされたアルバムの最後に同時収録されました。
ライブでたくさんの人の心を揺さぶった「千の風になって」は、あえて原詩である英語詩で歌っています。
そして、竹内まりやさんの作詞作曲である「人生の扉」。この曲は、とある人がローラさんに是非歌って欲しいとCDを渡したことがきっかけだったそうです。その人をライブ席上で驚かせようと2週間で仕上げたというエピソードが、ローラさんの人となりを思わせます。竹内まりやさんが英語で歌っている部分を、ローラさんが訳して日本語で歌っています。ローラさんはまずご自分の音源を竹内まりやさん本人に送り、このように歌ってもいいかどうかの許可を取られました。その後、竹内まりやさん本人から直筆の丁寧なお手紙が届いたそうです。
歌詞は下記の通り。
人生の扉
春がまた来るたび ひとつ年を重ね
目に映る景色も 少しずつ変わるよ
陽気にはしゃいでた 幼い日は遠く
気がつけば 五十路を越えた私がいる
信じられない速さで 時は過ぎ去ると知ってしまったら
どんな小さなことも 覚えていたいと心が言ったよ
I say it's fan to be 20
You say it's great to be 30
And they say it's lovely to be 40
But I feel it's nice to be 50
満開の桜や 色づく山の紅葉を
この先いったい何度見ることになるだろう
ひとつひとつ 人生の扉を開けては感じるその重さ
ひとりひとり 愛する人たちのために生きてゆきたいよ
I say it's fan to be 60
You say it's alright to be 70
And say still good to be 80
But I'll maybe live over 90
君のデニムの青が 褪せてゆくほど 味わい増すように
長い旅路の果てに 輝く何かが 誰にでもあるさ
I say it's sad to get weak
You say it's hard to get older
And they say that life has no meaning
But I still believe it's worth living
But I still believe it's worth living
この英語の部分を和訳するのはとても難しかったとローラさんは言います。
どう歌っているかは、ライブ、もしくはアルバムで聴いてみてください。
思わずうなってしまうほど、名訳がそこにあります。
その部分に感動した人も多いようです。
ローラさんはいつも笑顔で裏表なくて、屈託なくて少女のような方なのですが、きっと素敵なお母さんなのだろうなと思い、子育ての事を質問しました。すると、
「子育てなんて!子供を育てる事なんてしません.一緒に生きてました!」
と闊達に笑います。
「子供達は本当に面白い。たくさん楽しませてもらった」
ああ、やっぱり違うなあ、大きいなあ心が。。となんだか自分がとっても小さく見えてきます。
それでも、やはりアメリカに暮らす日本人の親は、家の中で子供達とつとめて日本語で話すそうです。でないと、日本語が話せなくなってしまうからだそうです。ちょっとでも気を許すと、兄弟同士で英語でしゃべるのだそうで。。。いろいろな苦労があるのですね。
どうしても、子供の成長が気になって神経質になる。他の事の成長の違いをくらべてしまうことで育児ストレスが起きているケースもあります。それに関して質問すると、
「アメリカでは、学校や社会のシステム自体が比較出来にくくなっているから、そういう事を意識した事がない」とのことでした。
クラスも、担任も流動的で、科目も自分で選択制なため、自分の意思で授業を選択し教室へ集まる、といったもの。比べようがないとのこと。
日本とアメリカの教育システムの違いみたいなものも浮き彫りになって、興味深い話でした。
そもそも、ローラさんがこのラジオ出演を承諾してくださったのには、別に目的がありました。それは、金沢高校の新2年生400人へのありがとう、を伝える事。
3月7日に、金沢高校の1年生(新2年生)400人にむけて、ローラ浅田ジャズライブが行われました。その後、学校側からローラさんに400通もの感想文が届けられました。
多かった内容と、印象的なものを抜粋します。
●ジャズというものを初めて聞いた。もっと聞いてみたい。
●ローラさんが明るくて驚いた。
●生きる力強さを感じた。
●病気である事を受け入れて前向きに行きている事に感動した。
●心に残る声だった。
●つらいことがあったら、ローラさんの歌を思い出して頑張る。
●将来の事を考えた。
●1日1日を無駄にしたくないと思った。
●人生を楽しもう、ということをローラさんから学んだ。
●ヒトとの出会いを大事にしたい。
●生き甲斐を見つけたい。
●いろんな高校生に聞かせたい。
●人はヒトから支えられて生きていると感じた。
●好きだから嫌いになる、という言葉。気にならなければキライにもならない。
●すべての曲からヒトを愛するというテーマを感じた。
中でも多かったのは、『人生の扉』という曲を聴いての感想でした。
●『人生の扉』を聞いて、涙が出そうになった。
●人生がどれだけ貴重で大切かという事が歌から伝わった。
●人が美しく年月を重ねるというのは、この事なのだと感じた。
●未来に希望が持てた。
●その世代ごとにすばらしいものがあり、元気で過ごせる事の素晴らしさを感じた。
400通のラブレターがローラさんに手渡された日、私はちょうどその現場に居合わせていました。一枚一枚をじっくりと一文字も逃さぬように愛おしむように目を通すローラさん。そして、静かに涙ぐまれていました。周りで一緒によんでいた私達も涙が止まりませんでした。時々、ユニークなものがあると、お腹を抱えて泣き笑い。どのお手紙もいとおしく、ありがたく、ローラさんは手紙の一枚一枚を丁寧に抱きしめるようにして読んでいました。
ローラさんみたいに、ひとに喜んでもらえるような仕事に就きたい、ということを書いている生徒がいました。人を喜ばせたい、という気持ちはとても尊く、明るい未来を予感させるものです。
心の美しさが歌に反映される。その事を強く感じています。ただ格好いいだけの音楽もいいけれど、何か物足りない。そこに嘘があったらなんだか寂しい。ローラさんの歌には嘘がない。本物の愛がある。そう思います。そして、その愛情は人から人へと伝播する。確実に、広がっています。
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