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ローラ浅田さんのこと

13年前、私はローラ浅田さんという女性ボーカリストと出会った。その3年前に5年生存率15%の宣告を受け、暮らしていたアメリカから日本に帰国し、ご両親の暮らす金沢を拠点に演奏活動をされていた。ピアノの弾き語りをしていたが、骨に転移したせいで左腕が上手く動かなくなっていたため、ピアノサポートが必要だった。

他の人は私をクロちゃんと呼ぶ中、ローラさんは
「クロベエ!」
と親しみを込めて呼んでくれた。
その声は慈愛に満ちて、クロベエ、と呼ばれるたびに心がふわっと暖かになった。


弾き語りの右手の邪魔にならないよう、左手の低音部をメインにバランス良くなるようにピアノを弾いた。できれば、彼女が弾いているように聞いてもらいたかったから、彼女の呼吸に合わせて演奏した。

慣れてくると、視界の端にほんの少し見える程度でも彼女の呼吸をつかめるようになった。弾けなくなったら歌うのもやめる、と言っていたローラさんが、

クロベエのピアノなら歌う、と言ってくれたと知ったときは、感激して言葉にならなかった。




ここからは、過去の記事より引用です。




彼女の命を削るような一つ一つのライブに、毎回たくさんの人が訪れ、真剣に、中には涙を流しながら彼女の歌やことばに静かに耳を傾けていた。
ローラさんの語りは底抜けに明るいので、歌を聞いて涙したあと、泣きながら大爆笑してる人も多かった。

モルヒネの錠剤を一日に6つ。
「これ飲んでおけば、ぜーんぜん大丈夫」
と、からっと笑って言ってのける。
腫瘍が脳に転移した友人とは、
「あんた、脳転移してんの?そのわりにはぜんぜん元気だねえ!」
とあかるくやり取りしている。
脇で、打ち合わせのための楽譜を整理しながら耳にする会話に、しばしば愕然とした。

NHKの全国版で彼女の特集が入ったのは私がサポートに入るすこし前のことだったが、その番組も手伝ってか、小中学校から彼女へのライブ依頼が増えていた。 

そんな中、金沢高校で彼女のライブをやることになった。

今時の高校生なんて、どうせ適当に聞き流すんだろうなと私は思っていた。


ローラさんはおちゃめであっけらかんとした性格で、江戸っ子的な話し方。ステージに登場して、
「みんな,退屈じゃない〜〜?だいじょぶ〜?」
と元気いっぱいで話しかけた。
そのあまりにもあっけらかんとして明るい姿に会場の高校生達はビックリしているようだった。
先生方が事前に、彼女のNHKで全国放映された番組をみせていたようで、学生たちは終始ローラさんの歌に語りに、真剣に耳を傾けていた。

ライブが終わった後、彼ら一人一人から感想文がローラさんに届いた。
それらの作文を私も読ませていただいた。
一人一人が、ローラさんからたくさんのことを学んでいた。
それは、生きる勇気であったり、人生の目標を見つける事の大切さ、仲間とのつながりの大切さ、前向きに明るく生きる事の素晴らしさ、などなど。

「人生を通して打ち込める何かを探したい」

「人生について考えた」

「仲間がいるって素晴らしい」

「ローラさんは人を愛する事を歌で伝えようとしている」

「何か困難にぶつかった時、ローラさんの歌を思い出したい」

特に多かったのは、

「自分も、困難を乗り越えられるだけの生き甲斐を見つけたい」

という言葉だった。

それら一人一人の言葉を、ローラさんはとても大切に丁寧に読み返していたのが忘れられない。


そのあと、神奈川県の平塚にある小学校でもライブをした。
ローラさんとも親交のあるラテンピアニストの今井亮太郎さんのお父さんがその小学校の校長先生だった。
是非ローラさんに子供達の前で歌って欲しい、との依頼だった。

子供達を低学年と高学年にわけた、2回公演。
小学校につくや否や、子供達は彼女を見つけるや、
「ろーらさん!!」と無邪気に手を振ってくる。
ローラさんは「おお〜〜!こんちわ〜〜〜」と全開のパワフルな笑顔で応える。もう、どんな偏屈な人も彼女をいっぺんに好きになる。
子供達はもちろん一度で彼女にひきこまれていた。

低学年の部では、「手のひらを太陽に」や「しゃぼんだま」、「ぶんぶんぶん」なんかを子供達と歌った。
「ぶんぶんぶん」は「You Are My Sunshine」とからめてブルース調のノリのいいアレンジ。
子供達は、みんな屈託なく、大きな声で元気に歌ってくれて、ローラさんは感激で涙ぐみながら一緒に歌っていた。

高学年の部では、いつもなら決して話さない自分の病気の事を、ステージ上ではじめて語った。
何歳でアメリカに渡って、いくつで病気になって、、、再発して、5年生存率が15%だと言われた事で自分が腹をくくってどう生きるかを決めた事。。。。。。
それらを、高学年の子供達はじっと静かに聞いていた。中には、涙を流しながら聞いている子もいた。


ローラさんは、
人の心や、愛情、を疑わない。
いつだって人の優しさを信じている。
人間っていいもんだって,信じてる。
だから、彼女の明るさに子供達は心を開くのだと思う。
そして、いつもなら決して弱音を見せないローラさんも、子供達のまっすぐな心の前では本音を話してしまったのだと思う、、

「みんな、ローラの事忘れないでね」

その時の声を今も忘れない。
決して湿っぽくない、暖かなひだまりのような声で言ったことば。

「みんな、ローラの事忘れないでね」


ステージ上で泣かないようにするのが大変だ.った。
楽譜が滲んで見えなくなってしまう。

季節が春から夏、夏から秋へと移って行った。数々のライブ。様々な場所で。旅も多かった。


最後のステージでは車椅子でした。
歌の最中、
モルヒネが途中で切れてしまっても、
ローラさんは笑顔のまま、歌い続けました。
いつもより声が弱々しかったくらいで、
ほとんどの人は気づかないままでした。
ローラさんは歌い終え、ステージを終え、
痛みを我慢しながら、ファンの人たちと写真撮影をして、最後まで笑顔でエレベーターに乗りました。

這うようにして控室でモルヒネを飲むローラさんの姿に、私は衝撃を受けました。

激痛をこらえて歌っていたのでした。



記憶のローラさんは、ほとんど笑顔。

もし今、ローラさんが生きていたら、彼女の歌にどんなに励まされたことだろう。


そして今、再度この記事をアップしたいと思います。
FMエヌワンにてラジオ番組をやっていた頃の、ラジオ収録の備忘録。

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2008年4月21日のラジオ『エヌワンコミュニティ』のゲストはローラ浅田さんでした。


プロフィール------------------------------------------------------
ローラ浅田(浅田一美)
1942年2月うまれ
30歳で渡米、ロサンゼルスで弾き語りシンガーとして活躍。2年半前乳がんを再発し多発性進行がん第4期と診断された。これを機に、支えてくれた人への感謝の気持ちと自らの生き様を伝えたいと金沢市を中心にライブ活動をはじめた。会場は彼女の歌声に魅了された女性達でいつも満席。
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本放送では、まずローラさんの学生時代のお話を伺いました。高校時代の仲間達との交流が未だに続いているということで、その交流がどれだけ生きる支えになっているかを伺いました。
「勉強よりも、一緒に遊んだり何かに夢中になってみんなでやり遂げたことが強く心に残っている」
シーツをドレスにみたてて学校の舞台に立った話を、瞳を輝かせて話してくださいました。

次に、アメリカ時代のお話。
クラブでは日本の歌しか歌わせてもらえなかった事、向うでの音楽仲間達と作ったオリジナルの曲「花づくし」のエピソード。
一番はひまわり。ひまわりはいつも太陽を探して咲くことを歌っています。どんなに太陽が照りつけようが、その身を焦がそうが太陽に向かって咲くひまわりを女性になぞらえてせつない歌詞に仕上げてあります。
2番はたんぽぽ。たんぽぽは、花が終わるといったん倒れてしまいます。でも、それにはちゃんと意味があって、より効率的に栄養を種に行き渡らせるための智恵だったのです。そして、準備ができると「えいやっ!(ローラさん風だととってもキュートです)」と起き上がる。そして、花のときよりも高い位置にその綿毛を広げるのだそうです。より遠くへ飛ばすために。これを、子供を思う母親の母性として歌にされています。
そして3番。別れのテーマである3番にふさわしい花をコスモスにきめるまでにはかなりあたまを悩まされたそうです。
なんともセンチメンタルな曲に、この歌詞が寄り添っています。どこかで流れていたのではないか?と思うほど完成された曲ですが、これまでひっそりと彼女のもとにたった一つの音源があるのみだったそうですから、驚きです。今回リリースされたアルバムの最後に同時収録されました。

ライブでたくさんの人の心を揺さぶった「千の風になって」は、あえて原詩である英語詩で歌っています。

そして、竹内まりやさんの作詞作曲である「人生の扉」。この曲は、とある人がローラさんに是非歌って欲しいとCDを渡したことがきっかけだったそうです。その人をライブ席上で驚かせようと2週間で仕上げたというエピソードが、ローラさんの人となりを思わせます。竹内まりやさんが英語で歌っている部分を、ローラさんが訳して日本語で歌っています。ローラさんはまずご自分の音源を竹内まりやさん本人に送り、このように歌ってもいいかどうかの許可を取られました。その後、竹内まりやさん本人から直筆の丁寧なお手紙が届いたそうです。
歌詞は下記の通り。


人生の扉


春がまた来るたび ひとつ年を重ね
目に映る景色も 少しずつ変わるよ
陽気にはしゃいでた 幼い日は遠く
気がつけば 五十路を越えた私がいる
信じられない速さで 時は過ぎ去ると知ってしまったら
どんな小さなことも 覚えていたいと心が言ったよ

I say it's fan to be 20
You say it's great to be 30
And they say it's lovely to be 40
But I feel it's nice to be 50

満開の桜や 色づく山の紅葉を
この先いったい何度見ることになるだろう
ひとつひとつ 人生の扉を開けては感じるその重さ
ひとりひとり 愛する人たちのために生きてゆきたいよ

I say it's fan to be 60
You say it's alright to be 70
And say still good to be 80
But I'll maybe live over 90

君のデニムの青が 褪せてゆくほど 味わい増すように
長い旅路の果てに 輝く何かが 誰にでもあるさ

I say it's sad to get weak
You say it's hard to get older
And they say that life has no meaning
But I still believe it's worth living
But I still believe it's worth living


この英語の部分を和訳するのはとても難しかったとローラさんは言います。
どう歌っているかは、ライブ、もしくはアルバムで聴いてみてください。
思わずうなってしまうほど、名訳がそこにあります。
その部分に感動した人も多いようです。


ローラさんはいつも笑顔で裏表なくて、屈託なくて少女のような方なのですが、きっと素敵なお母さんなのだろうなと思い、子育ての事を質問しました。すると、
「子育てなんて!子供を育てる事なんてしません.一緒に生きてました!」
と闊達に笑います。
「子供達は本当に面白い。たくさん楽しませてもらった」
ああ、やっぱり違うなあ、大きいなあ心が。。となんだか自分がとっても小さく見えてきます。
それでも、やはりアメリカに暮らす日本人の親は、家の中で子供達とつとめて日本語で話すそうです。でないと、日本語が話せなくなってしまうからだそうです。ちょっとでも気を許すと、兄弟同士で英語でしゃべるのだそうで。。。いろいろな苦労があるのですね。

どうしても、子供の成長が気になって神経質になる。他の事の成長の違いをくらべてしまうことで育児ストレスが起きているケースもあります。それに関して質問すると、
「アメリカでは、学校や社会のシステム自体が比較出来にくくなっているから、そういう事を意識した事がない」とのことでした。
クラスも、担任も流動的で、科目も自分で選択制なため、自分の意思で授業を選択し教室へ集まる、といったもの。比べようがないとのこと。
日本とアメリカの教育システムの違いみたいなものも浮き彫りになって、興味深い話でした。


そもそも、ローラさんがこのラジオ出演を承諾してくださったのには、別に目的がありました。それは、金沢高校の新2年生400人へのありがとう、を伝える事。


3月7日に、金沢高校の1年生(新2年生)400人にむけて、ローラ浅田ジャズライブが行われました。その後、学校側からローラさんに400通もの感想文が届けられました。
多かった内容と、印象的なものを抜粋します。

●ジャズというものを初めて聞いた。もっと聞いてみたい。
●ローラさんが明るくて驚いた。
●生きる力強さを感じた。
●病気である事を受け入れて前向きに行きている事に感動した。
●心に残る声だった。
●つらいことがあったら、ローラさんの歌を思い出して頑張る。
●将来の事を考えた。
●1日1日を無駄にしたくないと思った。
●人生を楽しもう、ということをローラさんから学んだ。
●ヒトとの出会いを大事にしたい。
●生き甲斐を見つけたい。
●いろんな高校生に聞かせたい。
●人はヒトから支えられて生きていると感じた。
●好きだから嫌いになる、という言葉。気にならなければキライにもならない。
●すべての曲からヒトを愛するというテーマを感じた。

中でも多かったのは、『人生の扉』という曲を聴いての感想でした。
●『人生の扉』を聞いて、涙が出そうになった。
●人生がどれだけ貴重で大切かという事が歌から伝わった。
●人が美しく年月を重ねるというのは、この事なのだと感じた。
●未来に希望が持てた。
●その世代ごとにすばらしいものがあり、元気で過ごせる事の素晴らしさを感じた。


400通のラブレターがローラさんに手渡された日、私はちょうどその現場に居合わせていました。一枚一枚をじっくりと一文字も逃さぬように愛おしむように目を通すローラさん。そして、静かに涙ぐまれていました。周りで一緒によんでいた私達も涙が止まりませんでした。時々、ユニークなものがあると、お腹を抱えて泣き笑い。どのお手紙もいとおしく、ありがたく、ローラさんは手紙の一枚一枚を丁寧に抱きしめるようにして読んでいました。

ローラさんみたいに、ひとに喜んでもらえるような仕事に就きたい、ということを書いている生徒がいました。人を喜ばせたい、という気持ちはとても尊く、明るい未来を予感させるものです。

心の美しさが歌に反映される。その事を強く感じています。ただ格好いいだけの音楽もいいけれど、何か物足りない。そこに嘘があったらなんだか寂しい。ローラさんの歌には嘘がない。本物の愛がある。そう思います。そして、その愛情は人から人へと伝播する。確実に、広がっています。


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ローラさんが亡くなられて、干支が一回りしました。タンポポの花を見るたびに、向日葵の花を見るたびに、ローラさんを思い出します。


# by pandamasii | 2020-05-11 15:39 | 記憶

瓶が捨てられない。

瓶が捨てられない。

特に、小さな瓶が。

中華やイタリアンに使う調味料や酢漬けのものを揃えていると、知らぬ間に増えている。

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深さや口径、カーブのラインもまちまち。
きちんと揃った瓶も美しいけれど、
不揃いな瓶たちもなかなかこうして見ると味があるではないか。

この間、スパイス用の手回しミルが欲しくて、百均のコーヒーミルを購入した。
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麻婆豆腐に大方使ったその残りが、ミルの容器の底に残っていたのを、元々はケイパーの塩漬けがちょっこり入っていたこの小さな瓶に。
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なんだろう、この達成感は。
イタリアンから、中華。

それから、海の珍味が入ってたこの細長めの瓶は、同じ形のが二つあり、サイズ的にもすごく重宝している。
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自家製もずく醤油をいれてみた。
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ちょうど1週間分ほどのもずく醤油が入るのだ。
達成感。
中身とラベルが変わるのって、瓶本人としてはどんな感じなんだろう。こそばゆいのか?
不本意か?

内容物に合わせて生まれてきた瓶もあれば、そうでない既製サイズの瓶もある。

オリジナル発注でない瓶たちは、あんまり違和感なく受け入れることができるだろうけど、

オリジナル発注の瓶たちは、

そ、そんなの聞いてないよーー!
僕、高級な蟹味噌の瓶だったんですよ?なんで庶民的なもずく醤油なんですか?しかも、飼い主の手製だそうじゃあないですか!品質管理できてますか??


と、内心穏やかではないかもしれない。


まあ、それも三回ほども繰り返せば、
これもありかもしれない、と
妥協してくれているのかもしれない。


かもしれない。

ちなみに

もずく醤油は、もずくと昆布の粉と醤油とちょっとの甜菜糖をミキサーでウイーンとやっただけの、便利醤油。
とろりとして、昆布ともずくの旨味が醤油の角を柔らかくしてくれる。

これをりんご酢で割れば、もずく醤油酢

もずくに含まれるマグネシウムとりんご酢のリンゴ酸は、喉に最高の組み合わせ。気管支系にもよろしいそうな。

餃子をもずく醤油酢で食べて欲しい。
不味い餃子でも美味しくなります。

もずく醤油は、冷奴、卵かけご飯、などなど、かなり万能。とろみがついてるので、絡みやすい。

あ、瓶の話…。









# by pandamasii | 2020-04-07 16:26 | MONO

富山大学医学部名誉教授であり、アビガンの開発者でもある白木公康氏が、緊急寄稿されていました。エアロゾル感染と湿度の関係や、発熱期間から具体的症状の経過、自己判断する場合取るべき行動などが詳細に書かれています。

新型コロナウイルスの怖さを今一つよくわからないまま、とりあえず予防してきました。
この論文読んで、どうして危険なのかわかりました。

大きくまとめてみた

★体調管理

①平熱を測っておく
②熱が4日以上続く→COVID-17のサインで確定
続かなくても、COVID-17である可能性。
③ちょっとの運動で息切れする。 →発熱後5、6日の病初期の可能性がある。(労作性呼吸困難)
④発熱後およそ8日で呼吸困難症状(労作性呼吸困難から2日後?) 

家で様子を見るのは発熱3日までにしておいた方が良さそう。4日目、下がっていなかったら病院へ行く。

どこの病院へ行くべきかを、きちんと調べておく。感染症の対応病院。


★新型コロナウイルスの特徴

通常の飛沫感染では、2mの距離でウイルスは乾燥して死ぬ。そのための人と人の距離を2mとしている。

エアロゾル化したウイルスは、その粒の大きさにもよるが、小さい粒のものだと浮遊して落下速度も遅いので、その分空気中に浮遊している時間も長くなる。乾燥していれば浮遊している間に乾燥して死ぬ。

湿度が高い場所では、30分以上死なないこともある。

飛沫感染よりも、エアロゾルで吸い込んだ方が上気道や直接肺胞につくため、感染しやすい。


マスクをしていると、上気道の湿度が高く保たれる。これは、汚染されたり防御能力のないマスクをつけていると逆効果になる、ということでもあると…。難しい…。



https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=14278&fbclid=IwAR23nWTK3V9eTEUYYQiKND6rSSsi5hPvcbjTuuoXNwgFyE2gWLg-sG6TPhw

# by pandamasii | 2020-03-31 15:44 | 新型コロナウイルス

大切な一冊

心に残るプレゼントは数あれど、中・高を共にした友人からの誕生日プレゼントの絵本はとくべつである。

同じブラスバンド部で休みも顔を合わせ、朝練から夜まで中、高と6年間ともに過ごしたその友人は、料理上手で本好きで、抜群の味覚センスを持つ、かなり個性的な女の子だった。

高校時代、彼女のお誕生会に行った時の記憶が鮮明に残っている。手製のイチゴショートケーキやナポリタンはそれまで食べた事がないくらい美味しく、紅茶やコーヒーにも精通していて、その話がとても新鮮だった。そんなこだわり派でマニアックな彼女に、わたしはいったい何をプレゼントしたのか、今となっては思い出せないのだが、彼女から贈られた絵本は、その後のわたしの人生にずっと寄り添うものとなった。

いわむらかずおの『14匹のひっこし』
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今では人気のシリーズで全12巻出ているが、その第1巻。1983年に第1刷発行して、同年のうちに5刷まで発行されているところを見ると、かなり人気があったのだろう。

14匹のネズミの大家族が、野を越え川の急流を渡り、暮らしやすそうな大きな木の根っこを見つける。家族みんなで力を合わせて、暮らしやすい家を作るこの物語は、今の新型コロナウイルスで家に篭らざるを得ない状況下で読むと、改めて家族で暮らすことの意味を考えさせられる内容だ。

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幼少期、雪深い暮らしの中で、母親が作る保存食が雪に閉ざされた食卓をとても豊かなものにしてくれていたことが、この絵本の世界に魅了されたことに関係があるかもしれない。春にはイチゴジャム、夏にはマーマレード、秋にはりんごジャム。学校から帰って玄関のドアを開けた瞬間、果物が加熱されて生まれる濃縮された素晴らしい香りにむせ返る。ジャムの他には、薫製や、味噌作り、梅干し漬け、沢庵漬け、など、それらの樽やカメが背戸や床下収納庫に置かれていた。幼少期、手間のかかるそれらの母の仕事を、低いアングルから眺めて過ごした。絵本に登場する下から2番めの女の子ネズミのくんちゃんの目線が、まさにそれであり、木の根っこの素敵な家で暮らす自分を想像して、絵本の世界に浸れたのだろう。
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このネズミたちの家には、野菜や芋を保管し干し野菜を吊る、今で言うところのパントリーがあり、竈門やオーブンのある台所部屋がある。幼い頃の実家の台所をもっと母の使い勝手の良いように作り替えたらきっとこうなるに違いない、と思える理想的な台所だ。

料理好きで食にこだわりの強かった友人の理想でもあったのだろう。

わたしにも子供達が生まれ、この絵本は彼女らのお気に入りの絵本になった。子供達が成長し、また再びわたしの手元に戻ってきたころ、ちょうど家を建てることになった。ネズミたちの台所のような理想にはなかなか届かないけれど、自分なりにできる範囲で使い勝手の良い台所とパントリーを自分で設計した。もしこの絵本と出会っていなかったら、ここまで台所のことを考えただろうか?


友人は大学卒業後、郷里に戻って図書館の司書となった。きっと、訪れる子供から大人までの人たちの心に寄り添う本を選んでいるのだろう。その仕事は計り知れないほど尊い。

# by pandamasii | 2020-03-29 09:20 | 記憶

どんなときも

新芽は輝くばかりの黄緑色で、花は薄墨色に枯れ朽ちたままの紫陽花の枝先にひときわみずみずしい。今、まさに春なのだ。

連日の新型ウイルス騒ぎに心が疲弊していてか、ひときわこの黄緑色が眩しい。そうなのだ、自然の草花たちは、ずっと遥か昔からそれら世の喧騒を眺めて連綿とその命をつないできたのだ。


ストリートピアノが、新型コロナの影響で次々と閉鎖されていると聞いた。不特定多数の人が触ることと、聴衆をたくさん集めてしまう懸念があるため、とのことだけれど…。

手指の消毒とか、鍵盤の除菌、手袋をはめての演奏なんかは、個人で選択できることだし、聞く方だって密集しないように気をつけることもできるんだろうけどなあ…。

こんな今だからこそ、ワクワクするような心のオアシスが欲しい。

今あったらいいなあ、と思いつくままにリストアップしてみた。


①ドライブインシアター
いっとき流行りました。これ、また復活させたらどうでしょう。車の中だから心配ないと思う。

②公園ピアノ
野外ステージのある公園に限定となるけど、ステージにピアノを設置。ストリートピアノならぬ、パークピアノ。観衆が密集しなければいいわけで。

③エアープラネタリウム
ネットやラジオで、星空解説を生実況するエアープラネタリウムとか。ってそれ、リアルプラネタリウムだ! 


イベントが中止される今だからこそ、必要なイベントもあるんではないかと思う。


# by pandamasii | 2020-03-06 10:08 | DIARY

おうちごはんを記録的にアップしています。

by pandamasii